黄色人種は白人社会との関係を築く上で武力で負けたり、実利のために「損して得取れ」と卑屈になる事すら辞さなかった民族もあった事から、白人社会からは卑屈で劣った人種だと思われながらも、確実に白人社会に食い込んでいった事もあり、一方的な搾取を受ける事態には至っていないケースが多い。
一方、20世紀前半のアメリカやカナダでの日系移民の境遇をみると、黄禍論を背景とした排斥の動きがあり、それが太平洋戦争の要因になったという主張もある。戦中は枢軸国の中で、ほぼ日系人のみ、長期的に強制収容所に入れられており、在米ドイツ人はなかった。日系人の強制収容・アメリカ合衆国の人種差別#アジア系住民に対する差別も参照。
海外に在住している日本人は様々な形で、偏見を投げかけれられたり、嫌がらせを受けた事例が有る。しかし問題点としては、平均的な日本人が差別と無縁な環境にいる為に、自身が人種偏見を背景にした差別にあった事自体を気付かない場合が少なくない。例えば、ドイツやロシアのスキンヘッドから不愉快な目に遭えば、人種差別体験と気付く可能性は高いが、ユダヤ人やアラブ人や他の有色人種からそういう扱いを受けても、それが人種偏見を背景にしたものであるか気付かない場合が多い。
同じ黄色人種である中国や韓国も儒教観念や中華思想から日本人を下位の人種と看做していた時期が長い。たとえば当時朝鮮通信使として来日した金仁謙が記した日東壮遊歌にも日本人を指して「犬にも等しい輩」という表現が見られる。現在でも倭人、チョッパリ(牛の足、わらじ履)など差別用語が使われることがある。
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また日本人を差別的に呼ぶ用語にニップ、ジャップ等がある。
16世紀まで、日本人は白人や黒人を見た事がなく、当然の事ながら驚きや奇異の目で見る傾向があった。ただ、中国・朝鮮なども同じ様な状況であった。当初白人のことはその外見から「紅毛(16世紀にきたスペイン・ポルトガル人の特徴による)」「毛唐」、又は中国の言葉を借りて「南蛮人(“南方の野蛮人”の意。主として東南アジア方面つまり南方から、直接交易が唯一許されていた長崎県を通ってやって来たため)」などと呼んでいた。又、欧米で奴隷扱いであった黒人は宣教師の従者として日本に連れられてきたのが最初とされるが、日本では当時の最高権力者織田信長の従者になるという破格の好待遇を受ける(ヤスケの項目を参照)。その一方で日本人はポルトガル・スペイン商人や宣教師によって奴隷として輸出された。豊臣秀吉によるバテレン追放・キリスト教禁教は、純粋な宗教の禁止・宗教への迫害だけではなく、そうした情勢・趨勢への対応であった(サン・フェリペ号事件)とする見方もある[1]。
鎖国をやめて文明開化をなしたあとでは、白人はその軍事力、科学力から畏敬の対象となる。しかし、白人の世界観を反映して黒人は「未開人」という人種的偏見の対象となっていた。日本に居住する黒人が少なかった事もあり、その偏見はなかなか払拭されなかった。
明治維新後の日本は非白人唯一の列強であり(例外的にエチオピアのアドワの戦いがある)、そして人種差別により正当化される欧米帝国主義から自分たちの利権を守るため人種差別反対の立場をとる事が多かった[2]。
第一次大戦後のパリ講和会議では人種差別撤廃条項を提案するも、英米等議長拒否権により不成立に終わっている。
第二次大戦では人種差別を国是とするナチス・ドイツと軍事同盟を結んだが、人種差別的な主張と政策には否定的非協力的であった。戦前から満州国にユダヤ人自治州を作る河豚計画が存在しており、三国同盟成立でそれが頓挫したあともドイツからの引き渡し要求には応じようとしなかった。そのため欧州から脱出するユダヤ人にとってソ連-満洲-米国他へのルートは重要なものとなっていた。しかし戦争が激化するにつれ同盟国への配慮からユダヤ人へのビザ発給を断るようになるが、人道上の理由から大量のビザを発給した外交官杉原千畝などもいる。同氏は外務省に指示を求めたが、翌日に否認。松岡洋右外務大臣にも直接求めたが、大臣本人からも否認され、「独自の判断で」裁量権を行使した。1947年に帰国後、行政整理臨時職員令(昭和21年勅令第40号)に基づき解雇されたが、妻幸子によれば、その際、口頭で「例の件」の責任を理由として告げられたと言う。杉原の死後5年経った1992年3月の予算委員会で、日本政府(宮沢喜一首相)は初めて杉原の功績をたたえた。その際、渡辺美智雄外務大臣は、「(数年間各国大使館で勤務したことなどから)杉原さんが訓令違反で処分されたという記録はどこにもない」と答弁し、2006年3月24日には、懲戒処分されたと言う事実はなく、杉原本人が「昭和22年6月7日に依願退職」したとする答弁書を閣議決定した。[3]
第二次世界大戦後、進駐軍の黒人兵と日本人女性との混血児を「黒ん坊」として差別することもあった。黒人の文化人としての実像が知られるようになるのは、プロ野球選手のウォーレン・クロマティがテレビに登場して、親しみやすいキャラクターで愛されるようになってからであると言われている[要出典]。しかし、クロマティの親しみやすさなどから、今度は黒人=陽気で明るい、リズム感があるといった固定観念も生まれてきている[要出典]。
現在ではインターネット上で中国籍・韓国、朝鮮籍の人々に対する批判が盛んである。これは日本とそれらの国々との外交問題、日本国内における在日中国籍・韓国、朝鮮籍の人々の間の社会問題に端を発しているが、中には彼らを一括りにして誹謗中傷する言動も見られる。またこれに対応して、彼らのほうでも日本人を非難する言論がネットで盛んである。これらの感情的対立は、互いを排斥する差別感情になっている。
アメリカ合衆国のテレビプロデューサーで日本滞在経験を持つセオドア・レジー・ライフは、日本の人種差別の状況について「日本人は日本人以外を“ガイジン”として見下すが、そこに白人や黒人という区別はない」と分析し、「良い意味で人種に無頓着」としている
人種差別撤廃の試みは繰り返し行われてきた。アメリカの南北戦争は奴隷解放戦争としての性格を帯びていた。多くの黒人奴隷に経済基盤を支えられ、奴隷解放に反対していた南部の各州が敗れると、事実上アメリカの奴隷制度は撤廃された。第二次世界大戦後の世界では、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師による公民権運動が多くのアメリカ市民に影響を残した。
遡って、第一次世界大戦の講和会議であるパリ講和会議では、日本が人種差別撤廃条項を提案している。イギリスとオーストラリアが強く反対する中、採決が行われ、結果11対5で賛成多数となった。しかし、議長のアメリカ大統領・ウィルソンが例外的に全会一致を求めた為、否決された。
人間は理性的な動物でありながらも同時に、他の動物と同様に感情的な側面もある。「生理的に受け付けられない」といった、好きや嫌いの感情を、理性をもってセーブすることには限界もある。また、人が複数集まり、いわゆる「社会」を形成するためには、仲間同士の連帯感を高めるためには、時として仮想の敵が必要でもある。